昭和雲根志(益富寿之助著)に、三重県多気郡勢和村丹生の雄黄(おうおう 鶏冠石)が取り上げられており、一度、行ってみたかった産地です。もちろん、木内石亭の雲根志にも取り上げられています。詳しいことは、昭和雲根志を参照してください。
ひも君より、お誘いがあったので、さっそく、同行させて頂きました。関ドラブインで待ち合わせ、丹生へ向かいます。そこで、さらに、2人の方と合流、ちょっとした、採集会になりました。
ここは、水銀鉱山跡が遺跡として保存されています。昭和初期に掘られた坑道跡が、写真のように保存されています。
これは、水銀蒸留装置です。水銀鉱石と石灰石を混ぜ、薪で加熱します。硫黄は、石灰岩と反応して取り除かれ、水銀は気化して蒸発し、さらに、それを冷却して、金属水銀として集めます。昔の人は、この装置を上手く考えたものです。
しかし、加熱された砒素は、何処へ行ったのでしょうか。考えると、少し恐ろしいですね。
この丹生の地域には、こうした水銀や鶏冠石の鉱脈が至る所にあり、百数十の坑道跡があるのだそうです。山中に分け入れば、縦坑、斜坑が、たくさん口を開けており、危険地帯なのです。
そして、ひも君の案内で、近くの鉱脈の見学、採集です。
写真の赤い部分が鶏冠石です。このような鉱脈が、トーナル岩中に、熱水鉱床として存在しています。
さらに、別の場所で、辰砂や黒辰砂、鶏冠石を採集させて頂きました。ひも君有り難うございました。皆さん、お疲れ様でした。
ところで、鶏冠石は不安定で、表面から黄色くなっていきます。これは、雌黄に変化していくわけです。この鶏冠石は生成してから、数千万年も経っているはずです。それが、我々が採集して、目の前で、雌黄に変化していきます。この原因は、白鉄鉱と同様に乾燥が原因と考えられるので、加湿実験をしてみます。その結果は、一年後に。